Change before you have to.

androidアプリ開発、iosアプリ開発、rails、deep learning .etc.を使った社会実験。

アプリ開発を始めたら子供を授かった話

すみません、若干タイトルが釣り気味です。

 

でも嘘を言ってないと思っているのでまず順を追って書いていきます。


若干エンジニア色が強い内容になっているので細かい技術面みたいな話は流してもらえると助かります。

数年前、アプリを作り始める前は定職についていなかったのですが、
まず最初にアプリ開発を一から学び始めることにしました。


アプリ開発を始めるにあたり、まず最初に資格の学習アプリからシューティング系のゲームまでたくさんのアプリを作りました。

シューティング系のゲームは技術的に低いレイヤーで実装を学びたくて、cocos2d,unityなどのプラットフォームに頼らずに開発しました。
当時日本語版がなかったstackoverflowを見て拙い英語読解力により完全独学で学習したので若干のぎこちなさは残るものの、ある程度期待通りのものを作ることができました。
このiOSスキルが後々自分のアプリ作りの幅を広げてくれました。

ただこれはあまりお金になりませんでした。
毎月何千万、何億円という大量の広告費を投下して、ガチャで支払われる課金で回収していくパワーショベルみたいなゲーム会社に個人が真っ向から挑んで勝てるわけがありませんでした。

これを機に少し考え方を変えて、次は技術ではなく、別の頭を使おうと思って始めたのが資格試験の学習アプリです。

 

資格のアプリを開発する前に、OS別世帯年収のようなデータからお金を払ってくれやすいユーザー層を取り込むためiOSを選んで若干試験料が高めの資格試験を対象にしました。
高い試験料の資格ならば、合格のために数百円のアプリをインストールすることをためらわないだろうと思ったからです。

その後、自分はアプリ作りに専念して、問題作りは資格方面に明るい知り合いに、単純作業はクラウドワークスやshuftiで依頼して、作った問題をcsvとして提出してもらいました。
仕様は自分で決めてcsvを読み込む部分だけ作れば問題のデータファイルだけ変えて、多種多様な資格学習アプリを量産することにし、
アプリの存在を拡散するためにネイバーまとめやブログなどで資格応援サイトとして無料広告みたいなことをたくさん出しました。
全ての試験で成功しませんでしたが、一部試験などでポテンヒットし、それなりのお金になったこともありましたが、残念ながらこれも長くは続きませんでした。

一部の資格の業界団体みたいなところから、おたくのアプリが著作権を侵害しているから運営をやめなければ法的手段に訴えるよーって忠告(というか警告)を受けたのであっさりやめたからです。

この辺の業界は著作権とかガチガチに固められているから、もしやるならちゃんとその筋の人に仁義を切って始めようという教訓を得ましたね(笑)


それからは、のちにイケダハヤト氏も移住したことで知られる、高知県に行って好きなことでもやりながらのんびりしようと思った時期もありました。
知り合いのツテで空き家に住まわしてもらい、家を改修しながら川で釣りをして畑で野菜や果物を収穫し、漁師さんからカツオと大根を物々交換したりして生活していました。高知は小さな滝が多いので小水力の発電事業ごっこみたいなことも経験しました。
一部の集落では若い人も多く、今までにない楽しい時間を過ごすことができたのですが、人間慣れると色々考えてしまう生き物でこれはこれでかなり楽しかったんですが、なんかちょっと違うなということもあり、東京に戻ってもう少し頑張ろうと思いました。

 

ここでちょっと違うなっていうのは当時付き合っていた彼女のことを考えたからです。

相方は実家の都合で関東から離れられなかったのと、彼女自身も妙齢だったので結婚や出産のことなどを考えるとこのままフラフラしていられませんでした。

ただ、独り身だったり、相方がどこでもいいよっていうタイプだったら確実に高知に移住していたかもしれません。

 


東京に戻るとアプリでは稼げないんだろうかと思い始めた時期でもありましたので、
全く別のことをやるのか自分の好きなテクノロジー分野で頑張るのか随分悩みました。

自分が辛い時に支えてきてくれた彼女のことなども考えるとこのままというわけにもいられませんでした。

悩んだ結果、就職することにしました。

 

 

それまで自分一人で独学でやってきた開発のスキルが世の中ではどの程度のレベルなのか知りたい、試してみたいと思ったこともありますが、実際は自分自身の成長や挑戦という道ではなく、彼女のため、自分の実力のため安定を選んだということです。


就職した会社はウェブサービスのスタートアップで当時、自分が作っていたシューティングゲームを見せたところ、ちょうどアプリ作りを始めたいのでネイティブエンジニアが欲しいということだったので会社にとっても私にとってもちょうど良いタイミングでした。

 

そこから徐々に世界が開けてきました。

一部ですが投資家の方々にもお会いする機会ができましたし、年齢的な意味での横のつながりの強いスタートアップ業界で少なからず知り合いも増えました。

会社内ではアプリを担当するチームは当初ネイティブでフロントを実装する私とサーバーサイドを担当している女性エンジニアの二人だけでした。

その方は若くとても優秀でしたが、当時のチームは実装上の様々なトラブルを抱え、必要な機能を作るまでの道のりも随分遠回りをしていました。

社内ではアプリ作りに詳しい人はいなかったのでウェブの考えで実装や仕様が決められ、私自身初めての業種の会社に慣れないことの連続でした。

私自身、エンジニアと言っても仕様策定、導線設計、ワイヤー作り、実装、保守を一挙にやっていたのでバックエンドのエンジニアと二人三脚っていう感じでした。

そうこう苦労しながらも数字は伸びてくるわけですが、数字が伸びるにつれてアプリを作っているチームに1人、また1人とメンバーが増えていき、今では10人以上の大所帯となりました。
その中で、私以上に優秀なエンジニアも続々入社してくる中で
適当なタイミングで私自身もエンジニアからディレクターという職種に変わりました。

 

私が入社した当時、アプリの1日の売上が数千円ぐらいでしたが、
エンジニアを退いたタイミングでは数百倍倍ほどになったこともあり、
私自身はこうした数字をさらに伸ばすことだけに特化した肩書きになりました

また入社当時、バックエンドを担当をしていた女性も今年、結婚、出産し、今では第一線を退いています。
実は今出産休暇中で一昨日出産したので、今はゆっくり休みながら早く復職してもらって一緒にまた働きたいです。
まだ全然先のことになりそうですが。。


私自身、プライベートでは、この会社への就職がきっかけとなったかどうかはわかりませんが、付き合っていたその彼女と去年結婚しました。
そしてその1年と1ヶ月後の今年3月末に子供を授かりました。

 


それまではしがない中年男だったけど、
アプリ開発を通して、掛けがいのない貴重な仲間と知り合うことができました。
これが何よりの財産になりました。

本当は実力があったら独立とか起業とかって手段もあったかもしれません。20代前半が中心の若い小さな会社でしたが、そんな中で私のようなアラサーを暖かく迎えてくださった会社の方々には感謝のしようがありません。

 

こんな私でも嫁をもらい、子供を授かり、人並みの幸せをかみしめることができているのは一重にアプリというきっかけがあったからに他なりません。

 

仕事面では数字を伸ばすことにコミットしつつ、自分の好きなテクノロジーという領域でもう少し何かできないかと模索しているところでもあります。

まずは手始めにrailsの勉強も兼ねてサービスを作っていたりします。